代表者の略歴・資格

松本昌晴
氏名松本昌晴
1953年京都府福知山市生まれ。
1982年公認会計士二次試験合格
1982年日新監査法人(現 新日本有限責任監査法人)入社
1986年公認会計士三次試験合格
1986年公認会計士登録(登録番号8998)
1986年税理士登録(登録番号58474)
1988年日新監査法人退職
1988年会計事務所 独立開業
1991年創成監査法人 代表社員就任
2001年創成監査法人 脱退

代表者ごあいさつ

こんにちは。松本昌晴です。

昭和63年に会計事務所を開業してから今日に至るまで、私にとって大きな試練が2つありました。

この2つの試練は、今になって考えてみると自分を人間として成長させてくれたとともに、介護事業の創業者様のお気持ちを、業種は違えども理解できる基になっています。

1つ目の試練

昭和63年の会計事務所の開業時が1つ目の試練でした。

「お金もなし」「人脈もなし」「顧問先もなし」の状態で開業しました。今から考えれば無謀だったと思います。唯一、義理の父が応援してくれたことは今でも感謝しています。

当時、結婚したばかりだったので何とかして顧問先を探さなければ生活できないと、そればかり考えていました。

そんな中、大学時代の友人から会社設立の依頼を受け、手伝っている内に法務局で新設法人の閲覧を無料で出来るということが分かりました。

そこで、法務局で新設法人の名前と住所をメモして、家内に車を運転してもらって飛び込み営業を開始しました。「何をしに来たのか?」と見下したような人など全く良い反響はなく午前中が終わり、箕面市役所の食堂で昼ごはんを食べながら2人で落ち込んでいたことを今でも覚えています。

この方法はダメかと思いながら、気を取り直して昼から飛び込み営業を開始した1件目で、1週間後に税務署に申告書を出さないといけないので困っているという人に出会いました。

私にとっては、非常にラッキーだったと思います。今でもその方とは顧問契約が続いています。本当に感謝しています。私が今日あるのも、その方のお蔭だと思っています。

この営業方法に確信が持てた私は、今度は104(当時は無料)で新設法人の電話番号を調べ電話をしました。電話営業など慣れていない私は、必死になって電話をしたのですが、あまりにもストレスが溜まったのでしょう、耳鳴りがひどくなり中止しました。

このような試練を経て何とか生活できる程度の稼ぎを得ることが出来るようになりました。

2つ目の試練

1つ目の試練を経てから約10年間、会計事務所は順調に推移し経営も安定した状態が続いていました。このまま続ければ苦労なく一生が過ごせると思う反面、何とつまらない人生だと思っていた時に、会計事務所の合併の話が舞い込んできました。

これが後々、人生最大の試練になるのです。

合併のため銀行から数千万円の借金をしました。当時、住宅ローンもありましたから、それを合わせると約1億円ぐらいの借金になったと思います。

合併して顧問先も増え従業員も引き継いで、事務所は外見上大きくなっていましたが、合併してから1年もしないうちに問題が発生しはじめました。

引き継いだ従業員は全員退職、同時に顧問先も減少残るは借金だけという状態になりました。また、新たに採用した従業員はすぐ辞めるとういう状態が続きました。

経営が苦しくなり私が採用した、ある1人のパートさんに退職をお願いしないといけない状態になりました。ご本人は会計事業所の経営が苦しいことを察知していて、私が退職の話しを切り出すると「当然です」と言ってくれました。このときは、本当にご本人に悪いことをしたという思いと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

さらに悪いことは続くもので、必死になって営業活動をしている中、救急車で病院に運ばれ40日間入院することになりました。

家内が「人生は終わったね」と言ったことを今でも覚えています。ある日、家内と一緒に事務所に出勤途中、後ろからついて来ていた家内の姿が消え、事務所で待っていると涙を浮かべながら入ってきました。その理由を聞くと「合併のときを思い出し、悔しくて歩いている途中で涙が出てきて、近くのビルの中のトイレに入ってしまった」と言いました。

私は、この悔しさを晴らすには事務所を拡大するしかないと思っていましたが、そんなとき平成12年になって奇跡が起きました

半年分ぐらいの売上に相当する大きな仕事の依頼があったのです。これによって、数年で借金を返済することが出来ました。運が良かったです。

従業員に感謝

今いる従業員は、私以上に優秀です。税法の知識、仕事に対する取組姿勢、責任感など私より勝っています。本当です。

私にとって嬉しいことです。それだけ従業員が成長してくれたからです。

私は事務所を従業員に引き継いでもらおうと決断し、そして公言しました。

2つ目の試練のとき、従業員が全員退職した経験のある私は、ついて来てくれた今の従業員に感謝するとともに、この従業員のために何かを残したいと思うようになりました。

そんなとき介護事業経営研究会(C-MAS)の存在を平成21年に知ることになります。

私は直感的にこれからは「介護」だと判断し、従業員のために何かを残せるのではないかと思いました。

藤田英明

左の本「社会保障大国日本」の著者は、株式会社日本介護福祉グループの代表取締役会長藤田英明氏です。

私はこの本の中で一番共感したのが、次の文章でした。
「何かを成し得るのは執念だけだと思う。執念がなければ必ず中途半端で諦めてしまうのが人間だと思う。だから、悔しい思いは思いっ切り味わうべきだ!」

全く同感です。怠け者の私がやってこれたのも「執念」や「悔しいという思い」があったからです。お金儲けだけでは、長続きしなかったでしょう。

これからは、介護事業者様に喜んでいただくことによって、従業員の満足度を高めることを目標に進んでいきたいと思います。

後日談

経営が苦しい時に退職をお願いしたパートさんのことは、常に心のトゲとして残っていました。

パートさんを募集する機会があったので、退職をお願いしたパートさんに声をかけようか悩みました。

退職させられた恨みから「何を今さら」と怒られるのではないかと心配したのです。

一方、私は退職させてしまったという思いが、いつも心の中にあり何とかしてこの気持ちを晴らしたいという思いもありました。

そこで、思い切って電話したところ心良く再就職に応じていただき、私の心につかえていたトゲが取れました。

再就職後、数年間働いていただいた後、家庭の事情で退職されましたが、私は責任を果たした気持ちでホッとしています。

ポトス

左の写真に写っているポトスは、再就職してくれたパートさんが、1つの鉢から株分けして8つの鉢に増やしてくれた中の1つです。

すべて青々として元気に育っています。

お客さんから縁起が良いので分けてほしいと言われ、お渡ししたことがあります。

写真のポトスのように、元気良く大きく成長する会計事務所にしていきたいと願っています。

税理士松本昌晴署名



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